新潟新発田市・紫雲寺遺族会の野澤義教さん、一人で汗
2023年8月15日 新潟日報
新潟県新発田市内に12あった遺族会が軒並み解散に追い込まれている。会員の高齢化で活動を維持できないためだ。今春からは紫雲寺地区遺族会ただ一つになった。紫雲寺地区遺族会の野澤義教(よしのり)さん(78)は、藤塚浜にある戦没者をまつった忠霊塔を、一人で守り続けている。新発田市の北端、落堀川河口近くの丘に上がると、塔と忠魂碑がある。敷地の周りに生えた竹林はきれいに整備されていた。
「竹は育つものだね。昔は何本もなかったんだがね」。額に汗をにじませ、そう話す野澤さんは、毎年の盆の入り前、朝4時にここへ通って草を刈る。近年は他の会員が来られなくなり、一人での作業になった。
石で頑丈に造られた忠霊塔には、戦争で亡くなった藤塚浜と村松浜(胎内市)出身の80柱の位牌(いはい)が安置されている。野澤さんが1歳になる前にフィリピンへ出征した父金五さんもここに眠る。
陸軍歩兵第十六連隊の拠点があった新発田市でも、12の地区遺族会のうち七つが2014年以降に解散した。22年には中心部の新発田地区など全ての解散が持ち上がった。
ただ、野澤さんは今年3月の市連合遺族会の解散理事会で「紫雲寺は続ける」と宣言した。12地区のうち、忠霊塔があるのは紫雲寺だけ。「ここには忠霊塔がある。まさか風化させるわけにはいかないでしょう」
終戦記念日の8月15日に東京で行われる全国戦没者追悼式には、新型コロナウイルス感染症が拡大した20年以降、出席していない。活動はほとんどなくなったが、忠霊塔の管理は維持しなければと考えた。他地区と市連合遺族会は全て解散し、県連合遺族会からも退会。市からの補助金は途絶えた。
紫雲寺地区遺族会には今も約120人が所属する。だが活動に参加できる人は少ない。終戦前年に生まれた野澤さんは「私が最年少だから」と発奮するが、「あと何年になるか分からないわね」と弱音も漏れる。
忠霊塔をどう維持していくかは難題だ。塔の銘文には、1931年に地元酒造会社が寄付したとある。
塔は遺族会のものでも、市のものでもない。では、誰が管理していくべきなのか。野澤さんは「ボランティアで管理を続けるほかない」と黙々と草を刈り、塔内の空気を入れ替える。
新発田市に管理を相談したこともある。市社会福祉課の担当者は「政教分離もある。行政が管理するわけにもいかない」と説明。ただ、「戦争で命を落とされた方々がいて、現在があるのは事実。何か方法がないものか」と頭を抱える。
厚生労働省社会・援護局事業課によると、戦没者慰霊施設の移設や廃止にかかる費用の助成制度はあるが、維持管理にはない。「民間の建立施設」であることが理由だという。
全国でも同様の問題が増えると予想されている。厚労省は、従来は所有者不明の施設に限られた補助対象を、管理後継者がいない施設にも拡充した。支給先は自治体になる。
社会・援護局事業課の小沼利男課長補佐は「全国的には後継者がいない施設は廃止するか、自治体が引き継ぐかが半々。引き継ぐには予算が必要なので、自治体がどう考えるかだ」と話した。
忠霊塔のそばでは今、老朽化で閉鎖された老人憩いの家の解体工事が進む。毎年、盆の入りから3日間だけ、明かり取りのために施設から引いていた電気も通じなくなった。
野澤さんは「今年も100人くらいが花を手向けに来る。明るいうちに来てくださいと案内を出している」と話し、つかなくなった灯ろうを見つめた。
忠霊塔の前に立つ野澤義教さん。今後の管理に不安が募る=新発田市藤塚浜
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阿部晴行 (火曜日, 04 6月 2024 14:35)
隊友会と言う組織です。慰霊碑等の清掃も任務の一つとして行動しています。大変な作業をお一人でやるのは困難と思います。ぜひ一度お話を聞かせて貰いたいと思います。